緊張する

使い込んだ道具を片手に、はやる気持ちは一層高まる。枯葉を踏む音は慌てる気持ちを無理に整えるかのように、規則正しさにぎこちなさを含まざるを得ないのが通常。はやる気持ちが抑えられないのなら、心赴くままに走るしかない。たとえ誰と競争しているわけではなくても、この道を走って、突っ切ってしまえ。この林の向こうは、贅沢な水量に森の地形が見事な水流を与えている、それはもう豊穣としかいいようがない、キスピオクスなのである。

Kispiox River's Edge Camp

1日に1回あたってくるかこないか、それはスティールヘッドの釣りではいつものこと、スティールヘッダーにはCommonである。トラウトの釣りで1日1回のアタリにどれくらいの価値を見出せるかというと、それはなかなか難しい。ないとはいわないけれど、難しい。しかしスティールヘッドの釣りでは1日一回のアタリが正直トラウトのそれとは比べようもない。これは事実である。

このとき向かったキスピオクスのプールは、今までもっとも多く釣りをした場所で、一番結果が出ていない場所だ。しかし、かつて友人たちに見せられた28lbから30lbの魚はここで上がったものである。

魚が留まる流れかどうか、もし自分が魚であったとしたらどうするだろうと考えてみれば、意外に見えてくるものである。このプールは間違いなく自分が旅の途中にとどまる場所なのだ。スティールヘッドであったなら。そんな場所で過ごすときは、自然体であるべきと同時に、特別に過ごしたいものなのである。例えばそれがホテルの部屋でコーヒーをすするところを、町にある古いパブのウィスキーに切り替えるように。

なぜこのプールでいつも音沙汰なしに崖を登って帰ってくることになるのか。それは、どうしてもスティールヘッドの釣り自体に心が急ぐ若輩だからなのだけれど、たとえばここは旅の目的であって重要な経過点なのだと思うと、ここでは“スティールヘッドを釣ろう”というより、“特別なスティールヘッドを釣ろう”と思ったほうがいいのではないだろうかと考えはじめた。

そう考えて、水辺でようやく気持ちを刷新してみる。

まず、いるのは間違いなくレコードクラスである。掛かったら記録物だから、はじめから覚悟すること。例えばこう思うこと。

「掛かったら1時間は我慢ダ。寄っても油断シナイ。引き離されても慌てナイ。どこまでも着いてゆくゾ。そしていくらでも時間をかけてヤル。簡単に釣れることはアキラメテイル。」

 

増水続きの後の2日目。水はひき始めていて、本日川岸に入れるようになったバージンウォータと言いたい状態である。狂熱を帯びた釣り人は上流へ向かった。こっちは下流側のここで釣る。

5投目。

そらきた!と叫びたい一撃。そしてもうこっちは覚悟ができている。譲ってナルモノカ。

5分経過。以前ここで逃したときと同じく、流れの中心からぐんぐん気が伝わってくる。ちょっとやそっとでは退かないという、まさに不退転のあれである。まだまだこれからサ。

10分経過。1歩こちらによって3歩引きずられることを繰り返す。前にもやったことだ。覚悟はデキテイル。

15分経過。魚がこちらに一歩を譲り、そしてまた一歩譲りはじめる。釣り人側も間合いを詰め、いま、目下で見事な大きさの魚が流れをかき回している。そして水を蹴ってまたも遠くの流れに向かい、距離をおきたがる。大丈夫。今日はここで我慢ができなくなった以前とは違うゾ。

20分。

 

1日8時間くらい釣りをするけれど、そのうちの20分。竿が曲がり続ける、ラインは震え続ける、釣り人はやっと掛かった魚がいつ外れやしないかと緊張に絶え続ける。もしこんな魚が掛かりつづけたら1時間に3匹ということになる。1日掛かり続くとしたら24匹である。

Steelhead Kispiox

 

もしあなたがこの20分の緊張を知っているとしたら、1日30匹釣ったという話がどれほどの魚のことか想像できるはず。もしこの緊張を知っているのであれば、どうしてこれ以上の回数を望むことがあるだろうか。

20分緊張しつづけて、そしてやっと尾を取り押さえた。メス。少なくとも推定16lb。見事な魚。会心のフライフィッシング。谷に陽光が差し、1日が輝いた。