不安定に魅せられる

ダリ展が今年(2016)あるとわかって早速足を運んでみました。前回が10年も前のことだそうです。ダリの絵は、高校生(30年前)の時に朝日新聞に大きく取り上げられていたのを見て以来、気になり、気に入ってます。

六本木の国立新美術館は雨にもかかわらず長蛇の列で、この作家の人気ぶりがうかがえるのですが、ちょっと驚いたのは列に並ぶ老若男女、幅広い年齢層、両ジェンダー満遍なく、アート系の風貌からオタク系、スポーツマン風など、ファンの多様性でした。ここに釣人である私が混ざっても不思議はないワケです。お気に入りの「聖アントニウスの誘惑」は見つからなかったのですが、目的の宇宙象は幾つかの作品に見ることができたし、ギャラリーの中、久しぶりに絵画を渡って行くことを楽しみました。

聖アントニウスの誘惑だけでなく、ダリの幾つかの絵画には不思議な象(宇宙象)が描かれています。象といえば巨体。その重量感ある動物が、頼りない、細く長い足を支えに空中高く、無表情に歩いています。この真面目な不安定に魅せられてしまって。

そして、こうして来ているBCの川のスティールヘッドの釣りも不安定極まりなく、真面目な顔して取り組まないではいられない、そういうものです。

今年はアグレッシブな魚が少なく、遡上にバラツキを感じ、そうこうしていると雨がジャボジャボ降ってきてシーズン突入以来の最高水位を倍で更新するほどの増水になる始末。そんな中、現場では相変わらずいろいろなことが頭の中を巡り、スティールヘッドの釣りはあの日起こったこととダブったり、仕事のシチュエーションとダブらせたり、人生のあの一場面とシンクロしたり。今回はダリのことと結びついてしまったワケです。

 

不思議です。

 

今年は日本の渓流でも随分釣りを楽しみました。けれどそれを通じて思い巡らせることや感じることは、スティールヘッドのそれとは大きくかけ離れています。本州日本のトラウトの釣りでは言葉を繋ぐことができず、自分で驚きました。日本の渓流魚に魅力がないわけがないですし、アプローチもいろいろでしょうし、生息環境だってステキな場所であることは大いにあります。ただスティールヘッドはその上を行くストーリーになることがよくあるのです。雨に打たれ続けて過ごした先にある、氷のように冷たい水の中でキャストを繰り返した先にある、やっと1匹と繋がった後の(ほとんどの場合)激烈な闘争の先にあることが物語を増幅しないでいられないのかもしれません。

スティールヘッドの現場に入った途端、車の中で、ランチの最中に、部屋で温まっている時に、いくつものストーリーがタフだけれど豊かな背景とともに流れ始めるのですが、日本の鱒ではまだこういう経験をしたことはありません。ヤマメやイワナは素敵な魚であっても、人生と被ることは、私には、ありません。人生の一部になりうる奥深い楽しみがあるのだと思うけれど、まだ、わかりません。けれどスティールヘッドになると、それは目が回るくらいにあるワケです。苦行や難航など、追いかける過程の様々がそこかしこの人生にダブルようなことがあったりして、単なる魚や魚釣りを超えてくるのです。

スティールヘッドはフライフィッシングでは至高の1つとされることがよくあるし、いわば空高く在る対象で、それ故、出逢うに至るまでの不安定感は避けられないのでしょう。

スティールヘッドが泳ぎ帰ってくるその川に出掛ける工面をして、年に一回のバケーションを用い、天候に恵まれればラッキーで、かといって恵まれなくても入水し続け、氷水に浸かって手を震わせて、やっと来たかという相手にはどうにもならないくらい竿が伸され、ラインが翻弄されて、無理にでも手を振りほどくかのように去っていくときもあれば、岸際まで寄って最後の詰めでサヨナラしてゆっくり歩いて帰って行く。

 

今年もラッキーなことに1匹、恵まれました。毎年来て釣りをしているというのに、この最初の魚を水際に取り込んで、両の腕は震えに震えました。それは止めようとしても止まらないものでした。20カットも撮った写真のうち、焦点が定まっていたのはわずか2カットでした。