discipline

どうしても、かつて美味くいったことから離れられないものなのか。片手にエドワーズを握って釣りをしている自分はやはり竿だけがバンブーロッドのシングルハンドに変わっただけなのだろうか。トライアル三度目にしても、なお抜けられない呪縛の中で、日本での妄想の積み上げはカナダの川岸で混沌のなかに落ち、二日目も昼を過ぎてなお、まるで返事のない釣りを繰り返していた。

それでも丸二日を費やそうとする間に、キャスティングはなかなかのものになってきたし、シンクティップのラインも鋭いループをコンスタントに描きはじめた。ようやくどうにかエドワーズはフライフィッシングをコンダクトしはじめた。それはこの竿の間合い(適切なフライキャスティングのためのラインの長さ)を把握したせいでもある。そしてもう一つ何かがほしい。

 

夕刻に迫ろうという頃、スペイで結果を出してきた場所を離れて、思い切ってエドワーズに見合った間合いを生かせそうな場所に移った。その流れは、深く水に立ち込めば魚の取り付くであろう川筋に跨ぎ入るような場所で、手前に構えてアンクル・ディープ以上に水に入らないように釣ることが粋な瀬である。

2ピース+ショートのバンブーロッドで当初の制約条件は最大限克服し、小さめのフライが間違いなく負担減に貢献し、適切なラインの扱いを心得たところでこの流れに入ると、今まで何度も思い知らされてきたことをここで再び感ずることになった。つまり、深くウェーディングをすればキャスティングはより困難になり、ウェーディングが浅ければ体の自由がそれを容易にしてくれるということ。近所の水辺の練習で達成されたと思った技術が現場でヘロヘロになるのもこんな単純な自然感覚の喪失がもたらす幻想である。

それに、流れに深く入れば体力はより消耗することは間違いない。何気ないけれど一日中水の中で踏ん張り通す間に下半身はガタピシ音を立てているものだし、その上に乗っている上半身で無理な運動を繰り返すキャスティングによって、両肩ともガチガチに固まってしまう。このどれもがバンブーロッドで描いた釣りとは違っていると言うのに、どうしても以前スペイロッドで魚が掛かった流れに深く掻き入っていた。愚かな。

その瀬で釣りを始めると、先ほどまでに適度と思われた扱うラインが数メートル伸び、腕を上に伸ばして振り上げたくなる深さで釣っていたときとは違って、肩と肘からチカラが抜けて、腕の重さがロッドに伝わるようになってくる。空中のラインは今まで以上に釣人の気を伝え始め、舞い、スティールヘッドにフライを届けている手応えは間違いない感触になってきた。やっぱりこういう時なのだ、自然が応えてくるのは。何がしかの調和が野生圏内に踏み入ることを許してくれる。

エドワーズは見事な湾曲をディスプレイし、ショートロッドが心臓に近くスティールヘッドの躍動を伝えてくる。非力を心配したクアッドのシャフトは想像を超える安心を伝え、見事にその魚を取り込んで魅せた。32インチ。悪くない。運がいい。スバラシイ。見事だ。釣れたことが驚きだった。

その後、太陽が山の斜面の裏側に回った頃、再び釣りを再開し、プライムタイムのベストプレイス、テールアウトに向かった。ラインからティップをはずし、15フィートのロングリーダーにグリースライナーを結ぶ。

5投目。波を立てて水面を泳ぐそのフライにヘッド&テイルで出現した影を見て、今まで分泌されたことがない何かがドッと頭の中で噴出する。それでも釣人は静かに手元のコイルを放して、フライを捕らえて反転したスティールヘッドがエドワーズに見事に載った。つい先ほど夢の達成が成されたというのに、すぐさま新しい野望はいかがですかと言ってくるあたり、「サスガココノシゼンハスゴイ」。

この魚は残念ながら5分ほどファイトの後に針から逃れて行ってしまったけれど、この新しい体験をどうやって気持ちに収めればいいというのか。

翌日、昨日とは別の場所に向かう。太陽が顔を出してその光が目に飛び込む時間になる前に、早朝からドライフライを結ぼう。とにかく継続しないことには何が起こるか図りようがないじゃないか。しかし、やっぱり、スペイロッドでやっていたならば5回のアタリがあるところ、バンブーロッドの釣りによってそれが八割減になっていることはどうにも変えようがないらしい。その上ドライフライで行こうというのだ。

多くの雑誌で礼賛されるドライフライのアプローチは幾度となく読み返しているけれど、なかなか釣れない魚であるスティールヘッドが、ドライフライによって今度は“目に見えて釣れない”ことになりはしないかと、今まで黙殺してきた。しかし昨日の一回はその弱気を拭い、可能性をスタビライズし始めた。朝から行くことにする。ドライで。

今まで魚に前のめりになりすぎてお座成りになってきたことが、今回は違う。「Study to be quiet」。念仏のように時々流れの中で唱える。そして膝以上に水に立ち込まない。ラインは早々に快適尺度を見切ってそれ以上にしない。フライは小さめにする。

数百メートルのスキーナのランをバンブーロッドで釣り切るには道具の規律に加えてアティテュードの規律に時間を過ごす。しかしその規律の中で釣人は十分自由なはずである。

約3時間、200mは釣り切って、ヤッパリ、サッパリ、魚が応えてこない。対岸の釣人にはその間にも数匹か反応があった様子なのに、である。こちらは岸際に泳ぎ着いたフライに出てきた緩い流れが好きなドリーバーデントラウトだけである。あるいは奔放にじゃれ付くレインボートラウトだけである。スティールヘッドをこなしたエドワーズにとって、もはや40cmや50cmの魚は相手にならない。この竿はいよいよサーモンロッドであることを主張しはじめ、ドシリと根元に載ってくる相手を待っている。

 

長いランの終わりに差し掛かり、複雑なうねりを水面に見せるテールアウトにいよいよ差し掛かったとき、スイング中盤を泳ぐドライフライの下で小さくキラりと魚が閃き、水面には小さなライズが起こった。この流れの途中で釣り上げたレインボートラウトと同じ小さな光の閃きで、掛かった魚はクンクンと水中を上流に向かって泳いでくる。再びトラウトのそれだ思ったところ、次第に竿に重さが圧し掛かってきて、数十秒後にはしっかり竿が絞り込まれることになった。すっかり仰天し、あの魚だ、あれだ、スティールヘッドだ、こんなドライフライへの反応があるのかと取り乱す。魚は勢いよく走り始め、テールアウトを抜け出して下流の瀬を下り、懸命の追跡をしつつも、完全に虚を突かれて精神が後手にまわり、下った瀬のなかにいったん泳ぎ留めたものの、再び海に向かって走り始めようと向きを変えられたところで針は外れた。ああ、どんなに切なく悲しく感じたことだろうか。魚が外れていく瞬間というのは。外れるか、外れないだろうか、という不安をそのまま現実に落とし込んでくる、一瞬にして起こる緊張から虚脱への転換はスティールヘッドの釣りならでは残酷。ああ、まったくどんなに無力に感じたことだろうか。

日ごろ新宿のオフィスに出勤するときは6時に起床する。習慣になってることでもそのほとんどの日々は目覚まし時計のアラームに頼っている。それでも早い時間から仕事を開始することは毎日にいくらかの爽を取り込んでくれるものである。ここカナダのヘーゼルトンでは目覚ましなしでその時間に起床する。精神的気だるさがあるはずがなく、あるのは“集中釣”によってボディのあちこちに蔓延りはじめた凝りだけである。

早朝のまだ暗い中で車のエンジンをかけに外に出て行くと、フロントガラスがうっすらと凍りつき始めていて、この旅で最も冷えた朝になったことがわかる。水温より空気が冷たいと魚は顔を出さないという説があり、したがって今日はドライフライに向いていないんだと頭で算段する。太陽の光が魚の目に入るような方向にあるとき、魚は眩しい光を目掛けてライズすることはないという説もある。この日は曇りなき晴天になり、二つの不利が重なる一日になった。それでもドライフライで。まずやってみる。とにかくやってみる。

スペイロッドの釣人がすぐ上流で見事なスティールヘッドを2本釣っている間にも愚直に釣り続ける。2時間くらいがすでに経過していただろうか。すでに太陽の光が朝もやを裂いて鋭い角度で水面に照りつけはじめていたとき、浅瀬の中を泳ぎ渡るグリースライナーの後方が次第に盛り上がり始め、波が立ち、フライに向かって何かが仕掛けてきた。フライの後ろで流れを分ける玉石が突如水の中に存在したかのように、水が生きて盛り上がるのを見て息が止まった。

一度も顔を出さずにその生命体を含んだ流れはもとの平らに戻り、釣人の高揚だけが取り消しようもなく残る。しかし、手を変え品を変えて釣人が訊きにかかっても、二度とフライの周辺に水の変化は現れなかった。滅多に出ないと分かっているから惜しくて惜しくて仕方ないのだけれど、釣り下ることを再開し、先ほどスティールヘッドが出てきた場所を潰していく。

一時間の後、グリースライナー周辺の水が再び乱れて渦を巻き、今度はかすかに魚がフライに触れたのがラインを伝わってきた。けれどラインに緊張はもたらされず。一拍おいて同様のキャストを試みると、再度水が割れて、魚は空振りし、泳ぎ続けるフライにもう一度襲い掛かり、それでもラインが張ることにはならない。そこでフライをブルーチャームのローウォータに変えて、一歩上流に戻り、一服する。キャストを再開し一歩また一歩と下がり4投目、今度はソリッドテイクで見事に掛かった。フライローテーションの基本がハマッて「ソレ見タコトカ!」と心で雀躍しつつ、フックが伝統のローウォータサーモンのためにペネトレーションに不安がよぎる。そしてヤッパリ外れた。

バンブーロッドの先で午前中に起こったスティールヘッドの2度のドライフライへの反応は、充実と言うよりは前例のない緊張を強いるものだった。晴天のなかで、手落ち、失墜が全面照射されて、いささか疲れてしまった。

 

今までならここでムキになって転げ落ちていくのが自分のやり方だったけれど、バンブーロッドを志向するようになって釣りの時間の経過具合は緩くなり、前のめりで躓き通していた過去とは違って、今もしっかり背骨は伸びているし、腰は据わっている。深呼吸し、ランチに向かう。そして午後はスペイロッドを手に取り、マイザーで別の釣りを楽しむことにする。

晴天が続き水の安定も続く。午後は自然に釣り時間が流れて、スティールヘッドの跳躍を随分楽しむことができた。正直あまりこういう恵まれた釣りをしたことは思い当たらない。15年ここで釣りをしてきて、フライロッドを手にして28年、初めて“釣れている”と感じることができる時間を過ごすことになった。ところが不思議なもので、毎度の旅と同じく、翌日はZero, None, Nada。同じく良い天気と水だったのに。

 

旅の本当に終盤に差し掛かって、この日は川でゆっくり過ごせるように、ランチを詰めたダッフルを肩に下げ、スティールヘッドへの2つの回答、バンブーロッドもスペイロッドもセットアップし、川へ降りてゆく。しかしわずか3年とはいえ積年の思いを解放しに来たのだから、はじめに釣りに握るのはエドワーズである。

ここでもう一度規律に立ち返ろう。水には膝より上まで立ちこまない、快適距離のラインを掴んでそれ以上にはキャストしようとしない、流しきって方向を変えるキャストは空中で行わず、一度フライとラインを水面に落とす、フォルスキャストは一回、そして8フィートのバンブーロッド・エドワーズ・クアドレート。キャストのリズムを掴んでいるシンクティップを通して、フライは小さく行く。さらにもう一つ。齢43にしていまさらながら、「Study to be quiet」である。

晴天で通してきた今回の滞在だったけれど、この日は小雨で、けれど水は緩やかに減水に向かいつつ、コンディションにはまったくの不足がない、本当に15年の間でもっとも天候に恵まれた旅である。本当に本当に運が良かった。

この日は朝からすごかった。30mの区間で、つまり、およそ30回のステップダウンと30回のキャストの間で、エドワーズは8回魚とファイトすることになったのである。

そのどれもがハーディーのゼニスを悲鳴させ、50m以上も先で白銀を空中で翻し、小径ワイドのスプールをキリキリ舞いさせるほどで、釣人は左手でリールのハンドルを摘んで狂わんばかりにラインを巻き込み、間合いを詰めんと川岸で慌てふためいて、これがスティールヘッドだ、スキーナカントリーの珠玉だと迫ってくるONE OF A KINDであった。(半分逃げられています)

短いバンブーロッドは脳の指令に素早く応えてくれるし、釣人は魚の躍動をギュッと濃縮して伝えてくるエドワーズを抱きしめるかのように釣りができる。スティールヘッドそのものを抱きしめている幻想のなかで、いとおしいくらいの時間がバンブーロッドとともにあった。

荒れた天候で滅多に魚が応えてくれない釣りを繰り返していたから、おそらくこれは、二度とそうはならないのだと真摯に思う。夢でも見ない時間。そんな日になった。

 

かつて例がないほど協奏が連続した釣りは一旦は終わって、楽章間に入る。小雨降る中、レインジャケットのフードをかぶった小さな空間で静かに流れる時間を感じつつ、下流を眺め、あそこに見えるカーブには内側に浅い瀬があるのがわかり、次のリズムを刻むのはフローティングラインのドライフライに決めた。BOMBERを結ぶ。興奮誘発されてはバッサリ演奏が終わらせられてきたドライフライでの数日があった。今まで誘い出しているけれど一度も釣りが完結していない日々があった。今日はドライで終わろうと思う。

Lani Wallerの「A Steelheader's Way」は歴代のスティールヘッド本でも3本の指に入る読後感をもっているけれど、その中のドライフライ・パートにはスティールヘッドのドライフライに対する興味振る舞いをいくつかの言い方で伝えている。 "The Great White Mouth Rise"、"The Quick Splash"、"The Cool Sip"、"The Alligator Snarf"、そして"The Toilet Bowl Express"。本で読んだだけでは、あるいは人から聞いただけでは、なんのコッチャという感じと思う。釣人の想像力で「まあ、あんなだろうと」と想っても、それはボンヤリするしかないものだと思う。けれど私は、このうち"The Cool Sip"と"The Alligator Snarf"を実際見ている。

それは2年前に突如キスピオクスの対岸に下りてきたグリズリーベアの迫力と同等である。ドライに出るスティールヘッドを目にした距離15-20メートル先。ヒグマに出くわした距離も同じく15-20m先。スティールヘッドがドライフライに向かって出現してくる迫力は熊が唸り合う声と白く吐く息の臨場の迫力と同等である。それは決して山女やイワナのそれとは比較できない野生動物の迫力である。だから、ドライフライのスティールヘッドは別格なんだ、よりストーリーを含まざるを得ないんだ。今年ようやくそれが分かった。

くるぶしに水がヒタヒタ触れるくらいに流れに入り、ドライフライの釣りを開始する。魚がいそうな場所は狭く、ドリフトの時間は小刻みになり、テンポ良くエドワーズがフライフィッシングを演出する。バンブーロッドの時間が流れ始める。旅の終盤についに竹竿が釣師の延長となってラインを繰り出すようになり、フライが流れに静かにのった。そこに、"The Great White Mouth Rise"が起る。一瞬にして、ではなかった。ゆっくりと。この言葉が伝えている通り、水面に真っ白な大きな口が出現し、BOMBERをパクリとやった。それがこの旅の大一番になり、20分のファイトの後、ついにドライフライを捕らえた魚は岸に乗ったのである。信じられますか?信じられませんXXXX。