横浜からドライブ約90分。その山塊には谷が多く、山々が絞り出す水が沢に変わって魚を育む流れを創り出しています。名前からもそのニュアンスが伝わるように、まさに水を湛えた一大地域です。それが同じ県内にある事が誇らしいですし、そこに綺麗な渓流魚が生き残っていることを知った時ははしゃがずにいられませんでした。

 

かつて林業が盛んだったことから林道は整備されているのでトレッキングに技術を要するわけではなく、足を痛めずに歩ける靴をさっと履いて、目的の沢に向かって1、2時間歩くことさえできれば、澄んだ流れに出会うことができます。その中に泳ぐのはもう随分昔に放流されたイワナやヤマメで、崩落の激しい林道ゆえに放流事業など成り立つわけがない山の中の沢に生き残る魚は、自然に世代交代を繰り返してきた素晴らしいコンディションです。

釣れるたびにその貴重さ希少さを想わずにいられないのですが、いまだに多くの釣り人は食べに持って帰るようです。都心からのアクセスが良い上に景色が素晴らしいから釣り人は多く、フライのみならず、餌釣りやルアー釣りも盛んなこのエリアはどうしても魚は少なくなりがちです。渓流という閉ざされた環境で数匹づつ抜かれてゆけばあっという間に ”ほとんど” いなくなってしまうのは釣り師なら頭に描くことは難しくないと思います。釣った魚を持って帰るのは成果を持ってちょっとした源流遡行の労をねぎらいたいのかもしれません。とにかく、お持ち帰りの結果残った魚たちはその年生まれたばかりのマイクロサイズだったり、ほんのわずかの2年魚くらいでしょうか。もしここが全てキャッチアンドリリースになっていたらそれこそどんなに素晴らしい魚が泳ぐ事になるのだろうかと想像しないでいられません。

ここ2、3年、管理釣り場のうらたんざわ渓流釣り場に出かけることがあります。ここは他とは違うC&Rのヤマメ・イワナ区間があり、わずか500mくらいとはいえ自然の流れを維持したその場所にはここで生まれたと思われる魚がいたり、びっくりするようなコンディションの魚がいます。毎日何人通過したかわからない場所でも、人慣れしているのか、あるいはハッチが始まれば、魚たちは食餌モードに入って毛針に反応し始めます。管理釣り場ならではの魚影のせいももちろんあるでしょう、けれどC&Rが成立していればこんなに立派なコンディションの魚がこんなにいるのかと驚かずにいられません。産卵時期には河床を掘る魚まで見られるほどで、その流れに魚が残っていれば自然再生の可能性は十分残されていることを目にしました。

これがもし管理釣り場ではないところでも実現したとすれば、例えばこの山塊の各沢でそうなったとすれば、釣り人なら喜ばずにはいられないはずです。釣った魚を食卓に乗せることはかつては日常でしたでしょうし、なんら非難されることではなかったと思います。しかし日本には、やっぱり人が多すぎます。一人1匹でも、綺麗な流れで釣りをした記念に毎回抜いていったとしたら、すぐにその川での釣りはレクリエーションとして淋しいものになってゆかざるをえないのだと思います。

 

その寂しい生命感に追い打ちをかけるのは綺麗な流れの中にいくつも打ち込まれている人工の構造物です。実質治山治水に役に立たないことがわかっていても政治絡みで金を生み出したり費やされたりして造られた多くのダムや堰堤は今度は撤去によってお金を生み出したり費やしたりする事にはならないものでしょうか。自然に対する仕打ちのように打ち込まれたコンクリートによって分断された流れは魚たちの世代交代、再生のチャンスをかつてあったものと比べて著しく少なくしているはずです。

また堰堤下のプールは魚がたまりやすい場所で、なおかつ釣り人に狙われやすいものですが、そこで釣れる魚はかなり貴重で、もし2、3年の親魚を抜いてしまったら産卵する個体が減ってしまうように思います。もちろん、そんな環境下でも魚はたくましく生き続けていますが、もし人間が行っていることをもっと制限すればどうなるでしょうか。かつてやってしまったことを取り除き元に戻すことができたとしたらどうなるのでしょうか。今の釣り人口よりもっと増えてもレクリエーションとしての釣りはより魅力的なものになったりしないものでしょうか?

 

50代になった今も20代の時同様に、出掛けるとネガティブ/ポジティブ混在で疑問や妄想がモクモクと湧き出てくるのですが、それでもまだあの魚たちはいるのだろうかと確認をしに出かけてしまいます。国内第2位の人口である神奈川県で釣れる魚とは想像できないようなヤマメ達、イワナ達と遊んでもらいに車を駆り出してしまうのです。人口に反比例して希少な彼らはけっして大きくはなく、釣り師が自慢できるような獲物ではないのですが、毛針に出てくれば渓流魚らしい鋭敏さを見せてくれますし、沢の水に磨かれて本当に美しいのです。水辺に到達する道中、ヤマセミ、カワセミ、日本鹿、ニホンカモシカ、イノシシ、テンなど多くの野生動物に会うチャンスがあり、途中の植林は味気ないものですが、春は山桜が彼処に見られ、上流部ではブナの林も見ることができる。この山塊が抱く水の豊かさは林道から見える滝や小沢、崖から吹き出す水に表れ、そんな水が集まって釣り歩くのが楽しくなる流れになってゆきます。丹沢とそこにいる魚は本当に貴重だと思います。